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星になりたかった。

夏の夜の骸

 洗濯ものを取り込んでたたみ、横に積み重ねる手作業のように、僕は今まで自分が嫌いだと折々に、器に炒れてきた。

 けれど、数々の日常と、色々の時間をなぞっていくうちに、僕は僕という「個人」を好き不好きという次元で考えないでいた。

 今日この夜、一人で部屋の中、天井を見つめる。

 今ある僕という「人格」をしっかりと認識するようになったのは、把握するようになったのはいつからだっただろうか。

 社会という大きな枠組みの中で渡っていく処世術をいつの間にかのらりくらりと、または淡々といなしていくようになったのはいつからだったろう。

 あの時、青春の涼しい風に背中を叩かれながら、部活仲間と肩組みあって帰路についていた思い出が、本当に自分の過ごした思い出なのかと疑わしくなるほど、遠くに感じる。

 成長期で自己の主観を形成し、思春期で自己の客観を形成する。

 己という人間の主観と客観を形成した後は、それを支える器を死ぬまで作り続ける。社会と言い換えることもできる。

 そんな僕の社会が気付けば過去のものとは随分変質していたことに今は驚いている。

 注意するのは、これを成長とも、衰退とも思わないことで、変化として受け入れること。

 脳漿の水面に波紋を広げながら、気付かせようと意識の石が放られる。

 人を知って、道徳を学んだ。

 心を触れて、倫理を学んだ。

 労を感じて、礼儀を学んだ。

 よく上を向くようになった。

 夜に広がる星空を。

 前後も変わらない普遍の表情でいる天井を。

 床に就く前、今日過ごした自分を反省するようになった。

 人と会話するときの、目の前の選択肢が増えるようになった。

 頭の中で文章をつくって、推敲して、口に出す一連の作業がすごく早くなった。

 周囲に敏感になった。

 自分にも敏感になった。

 敏感が、過剰に反応させるようになった。

 まどろみのなかで、この興奮を記したい。

 崩れた言葉で、ここまで来たという実感と、背後の骸の数に気づいた。

 ナイフを握る手も、今日だけは僕のお腹を撫でてくれた。

 人には期待しない、人には寄り添わない、人には甘えない、人には頼らない、人は信用しない。

 人は僕という世界観の外に住む、化物でしかない。それは家族であれ、友人であれ、恋人であれ、尊敬するような人物でさえ、だ。

 僕を肯定し、理解し、手を叩き、時にはその手で刺してくれるのはやはり、僕だけしかいないし、僕しかわからない。

 だから、僕という個人を、好きや嫌いで、語らなくなった。

 客観視する僕が僕に言う汚い言葉も、今はもう聞こえない。

 表裏一体、というのは大げさだけれど、今この瞬間、この時間。

 酒の酔いのせいかもしれないけれど、確かに僕は、

 僕という存在を認めることができた気がする。