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星になりたかった。

そんなものに、

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 最近、何も知らないで生きていたころの、若いというよりは幼いという評価だったころの自分を思い返す。無知でいたまま成長していたら、今と比較してどちらのほうが幸せだったろうか。無自覚の黒歴史を蓄積していくのと、自覚ある黒歴史を思い出しながら生きるのと。

 窓の霜は、窓外を霧に包まれたように演出させて、無人の街を連想させる。霜の冷気がかすかに伝わるのか、手の甲は少しだけ強張るようにしてカップを握っている。遠くで信号待ちをする車の音も、あちこちで瞼を閉じるように照明を落とす街灯の様子も、普遍であることを教えてくれて、心が落ち着く。

 幼かったままでいたら、もっと強い自分を確立していたのではないだろうか。自分の気持ちを正確にデッサンできて、下書きもなくペン入れする好きなように生を重ねていたのではないだろうか。他愛のない、というよりも意味のない妄想を、それは逃避想のように日ごろ考えてしまう。

 僕の中にいる、僕を常に批判し続ける「世間体」の雑音が少し大きくなっている気がした。弾力のない生活が嫌で、自分を汚すようなことをして変化を取り入れても、僕を滑稽だと一蹴する。

 誰かに認められたいという欲求から、メンズバーでおばさま方の相手をするようになって、出会い系で性欲のままに身を任せてもみた。働いた結果のお金を、びりびりに破いて、合コンみたいなものに参加しても、当然そんな沼を掘ったところで沼しかなく。

 おばさま方に気に入られても、そう仕向けるように細工した仮面を世間体が嘲笑し。

 性欲のまま腰を振っていれば、世間体は猿のようだと滑稽に手を叩く。

 金を破いて発散しても世間体は首を傾げるだけで、合コンには嫌悪する汚い人間しかいなくて、世間体は顔すら見せずにいた。

 いつから僕は批評家を常に置くようになったんだろうか。

 いつから僕に中性的になりたいという思想が根を張らしたのだったか。

 いつから僕への雑音しか聞き取らなくなってしまっていたのだろうか。

 振り向いてから気づく後悔と、前にできるだろう後悔を事前に回避してそのことに後悔するのとどちらが「マシ」なんだろう。押し問答、いたちごっこなことなのだけれど、思考の隙間はそういう「ごっこ」で埋めてくる。

 人にやさしくしても、それがそのまま返ってくるなんてことはない。

 莫大な信用を、たった一つの失態が瓦解させる。

 涙が人を強くするなんてものは詭弁だった。

 秩序があるものだと思っていた社会は無秩序の社旗を掲げた理不尽で構築されていて、ジャンヌダルクはさながら正当性を湾曲させる「多数派」の象徴のように、僕の頭に水をかける。

 僕には守りたい人がいる。でも僕の能力不足で、今は支えたいという心意気を謳うことしかできない。けれどやっぱり、黒い感情は盲目の不満を栄養に花を咲かせてしまう。どうしてここまでやって、僕には何も残らないのだろうかと。

 僕がやらない善よりやる偽善として行動してきたことは、すべて意味のない白紙に白塗りしているだけの行為なのではないか。

 助けても、拭っても、庇っても、支えても、自分のことしか考えていない自意識の化物が自制心の檻を食い千切ってしまう。

 わかってる。答えは出てる。

 僕は承認欲求がものすごく強いだけなんだと。

 どうしようもないくらい、自分が嫌いで他人が嫌いだと主張しているくせに、その中身は誰かに認められたい、褒められたい、必要とされたいという天邪鬼な「子供」が壁の隅でうずくまってこちらを睨んでいるだけの、単純な話だってことを。それを理解した上で、認めたくないという足場のないプライドがいることも自覚している。答えがわかっていても、分からないフリをして遠回りをする心の跋渉を如実に感じる。

 繊細さの中にも芯がある、強い人間になりたい。善にも負けない偽善を抱えた、優しさを服にして着たい。誰からも称賛されて、能力を必要とされる存在になりたい。そんなものになりたい、なりたかった。

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