でんちゅう随想録

夜のような虚無が好き。

狂壊の彼方

まえがき

 気晴らしに、書きたい物語を乱暴に綴っただけの 物語です。

 面白さも、商業的な目的もなく、ただ頭の中に住んでいるものをそのまま置いているだけです。

 小説家を目指していたころ、ペンネーム「縷々」のころを想起しながら指をキーボードに。

 

 

 

 僕はすぐ何かに影響されやすい、薄っぺらい男だった。芥川小説の、羅生門という作品に登場する下人という人物のようだと揶揄された経験もある。

 僕という人間性は白紙のようにまっさらで、他人という存在が絵具のようにしているといった具合だ。

 興味がなくても、人に誘われれば蛍光灯に群がる蛾のように後を追っていくし、一個人の思想だと唱えていたものも、ほかの思想を聞いてしまった瞬間に、その思想にもたれかかってしまい、いつしかヒトの思想を僕の思想だと主張してしまう。

 自分という確かなものがない、と言ってしまえばそれまでだけれど、僕はやがてこの精神の性癖ともいえる状態を、コンプレックスに思うくらいには、現在成長を遂げていた。

 どうすれば、他人にすぐ影響されずに生活を送ることができるのだろうか。

 答えは意外とあっさり出てくれて、自分以外の人間と極力干渉しないことであった。

 無干渉を座右の銘に仕立て上げて2年、その心意気の足取りはふらつくことなく、やがて独り歩きするようになり、晴れて「無干渉」が僕の「個性」となって根付いていた。

 人と喋るときも、間違った返答を選択しない方向だけ思考を巡らせて、他人の引力につられてしまわないよう、自分の心に金網を敷くようになった。

 そうして結末は、ばれないように周囲のご機嫌をうかがい、手もみをするやはり空虚な人物の完成だった。

 そこまでをあくまで客観的に分析し、把握している僕が彼女と出会ったのは、人生における必修イベントを一通り体験し終えたころだった。

 雪解け、冷やされていたアスファルトがしわを伸ばすように、陽光を浴びていた春の季節。どこにでもある企業に入社して1年半ほどが経過し、ある程度の仕事を任されるようになった僕のところに、新人がひとりやってきた。

 新人の名前は高畑野々で、稀にない、ピンとのびた背筋が最初の印象だった。姿勢がいい人だな、くらいの認識だったけれど。

「タカバタさん、でいいのかな」

 初めての新人教育係に任命されて、普段あまり動揺しない僕の心も、微弱の緊張を帯びながらいうと、彼女も初めての職場、社会人という立場にいささか緊張しているのか、少し声を震わせながら、「た、たかはたです」と否定した。

 無干渉でいる、というのは僕が一方的に他人に対して干渉しない、ということだけではなくて、僕が起こすことによって生じる事柄に対して、他人にあまり強く感情を引き出させないようにする、という意味も含まれている。ようは不快感を与えない、ということなのだが。

 彼女にとって僕が「嫌な上司」ではなく「上司」というなるべく少ない情報だけを残すように、なるべくなるべく、強い印象を与えないように、慎重に言葉一つ一つ、台詞の細部まで選んで、丁寧に教育の日々は続いていった。

「僕たちの部署が行う仕事は食品管理です。簡単に説明すると、隣の生産部署から送られる食品すべての賞味期限、消費期限を確認し、その食品の納品日から発送され、市場に売りに出されるまでの日数を計算して、食品の賞味期限、消費期限を記入するという引き算の仕事になります」

 強固になりすぎず、かといって砕けすぎない教科書のような丁寧語を意識しながら、1日、また1日と過ぎていった。

 しかし困ったことに、僕と彼女が勤務している企業は男女比が8:2というもので、女性社員が少なく、さらには僕と彼女が配属されている部署は、彼女が初めての女性社員という状態だったので、当然の結果というか、彼女には休憩時間に談笑するような関係の人はできていなかった。

 必然、部署の中でも比較的仕事上、言葉の回数を往復していてかつ彼女を除く最年少が僕だったので、一番年齢が近いということもあり、僕が達成しようとしていた彼女の中で「上司」でいることは達成できず、仲良く会話する仲に発展してしまった。

 でも、してしまった、と後悔はしているけれど、あくまでこれは僕が僕の理念に逸れた結果を出してしまった、という事実に完璧主義の節がある僕がただただ自分に対して落胆しているだけなので、彼女個人に対してどうこうは思っていなかったし、喋る仲といっても「上司」「部下」の一定の距離を確立したものだったので、特段僕に害はなかったからこの状況を受け入れることにした。

「高畑さんは、専門卒なんですね」

「はい、本当は医療系の職に就きたくて、勉強していたんですけど、なかなか難しくて」

「何を勉強していたんですか?」

放射線技師です。ただ、それもなんとなくなりたい、っていう軽い気持ちのせいもあって、卒業するころには技師になれる資格も技術もあったんですけど、ならずに普通の会社に勤めることにしました」

 とここまで述べ終えた後で、彼女は上司の目の前で、自分が籍を置いている会社を「普通の会社」と侮辱していることに気が付いたのか、慌てて頭を下げる。

「す、すみません」

「いえ、僕も正直似たような理由で入社していますから、気にしなくて大丈夫ですよ」

 こういうとき、会話を発展させるためにどうして放射線技師になれたのになれなかったのか、とか聞けばいいのだろうか。上司と部下という関係のせいもあるから、きっと彼女は答えてしまうだろう。だけれど、ならずに企業勤めにした、とあえてならなかった理由を省いて喋っているのだから、それは彼女が意識していようとなかろうと、わざわざ説明してまで「喋りたくない」ことなのだと思う。ゆえに僕はこの選択肢を不正解と決定して、またこのまま押し黙るのも不自然だと決定し、打開策として違う話に切り替える、という選択肢を選んだ。

「仕事のほうは、覚えれました?」

 彼女が入社し、僕の部署に配属されてからまる1か月、最近は僕の指示なしに、一人で作業を進める後姿が映っていたので、それを会話の薪にしようとしたのだが、発言してすぐに後悔した。

 なんて偉そうな発言内容だ、と。上司なのだから偉そうにして当たり前、という心の声も聞こえるけれど、しかし正当化させようという心よりも、後悔の念のほうが強かったので、ただただ今は向かい合っている彼女を不快にさせたのではないか、という気持ちで冷や汗をかいていた。

「そうですね、、、うーんと」

 彼女ははいと言うかいいえと言うか、言いよどんでいた。それを確認して、さらに僕は後悔した。よくよく考えてみれば、上司に「仕事覚えた?」と聞かれて素直に「はい」と答えるケースがあるのだろうか。仮にはいと答えてしまえば、上司の期待のハードルを上げてしまう結果になるし、いいえと答えればまだ覚えられないのか、と上司を失望させる結果になる。つまりどちらを選んでも間違ってしまう質問を、僕は彼女に投擲してしまったのだ。

 その結果、彼女の中に困惑という、不快をこの僕が与えてしまった。普段ならしないようなミスをしてしまったことに後悔しながらも、まず先に謝罪した。

「ごめん、こんなこと言われてはいもいいえも言えないよね」

「い、いえ全然大丈夫です」

 彼女は不器用に愛想笑いを浮かべたけれど、僕は久しぶりにおかした失態に、胸がちくちくと反応していた。

 やはり複数回、同じ人と会話をしていると麻痺して僕が自分を見失ってしまう。

 熱を帯びてしまった僕の心に水をかけて、また水をかけて、という精神葛藤を勝手に続けながら彼女と出会って半年がたった。

 

 1.邂逅 了