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星になりたかった。

夢の後に、涙の跡

 今まで人生を生きていて、3回自分が信じていた人間に裏切られた。

 ゆえにこれ以上人を信じないと決めても、学習せずになんだかんだ信用してしまい、また自分を傷つける。そしてそんな目にあってでも、死にたがるだけで本当に死のうと実行することがなくなった。

 今の人生を生きること、必ず決まっている死という結末を理解していながらいまだ歩くことをやめていない自分のことが、分からなくなっていたけれど、今回のことを経て少しだけ、答えのかけらを拾うことができた。

 僕は人生で一番幸せだと断言できる時間、出来事にはまだ出会っていない。逆に、人生で一番絶望した時間や出来事にも出会ったと、断言はできない。確かに苦しいこと、辛いことはあったといえるけど、人生の結末を短縮させるほどのものでは、のうのうと今も生きている自分を見てみればなかったと容易に考えられる。

 生きている。「のうのう」と。なぜか。それはやっぱり、見えない運命力に期待してしまっているからだ。

 どれだけヒトを信用せず、期待しないと心を閉じても、その扉にマスターキーを差し込んでくる希望がいる。最初の裏切りの時は、2度目の裏切りの人。2度目の裏切りの時は、3度目の裏切りの人。だからこれから、僕は人間不信とうたっていながらも、4度目を生成してしまうのだろう。どれだけもう信じないと意固地に否定しても、そう未来を達観し、自分を俯瞰している意識がいる。

 走っていた理由の源が急に瓦解してしまったから、地面を走るというよりも宙を走っている感覚。見ている方向は変わっていないけれど、足裏にその方向へ進んでいるという感触がない。

 幸い、走ることをやめようとは考えていないし、現実的に足を止めることはもうできないので、このまま行こうと思っていますが、行く理由がないのも事実。だって、誰かのために始めたものが、途端にむなしく一人で勝手にやっているだけのものにすりかわったのだから。

 変に期待させるくらいなら、絶対的な絶望を与えてほしい。

 それが今の本音で、そしたら本当に諦められるのに。

 小説のように、自分が望む結末、努力が報われるなんてことはない。

 自分の能力不足を認めたくなくて、その現実を否定したくて、現実逃避にも似た奔走をしていたけれど、現実逃避の先に待っていたのは、現実だった。

 迂回し飛行し、潜ろうとしても、現実は球体となって僕を包んでいた。

 僕は中二病てきなことを言うと、巨大で精神的なダメージを負っても平気なように、常に二つの精神(ストレス)を用意してる。そして徐々に徐々に、ダメージをろ過して、なじませていってようやくどこかで号泣、あるいは発狂する。

 だから生きる理由を探すのではなくて、自分がストレスを発散できる場所、泣ける場所を見つけるためにとりあえずは生きる意味としたい。

 暗いことを暗いことのままにしていると、本当にその期間を過ごしていた自分が無意味すぎて反吐がでるので、メリットというか、得られたものを。

 僕は今まで内気で、社会に適応する意味でもどんな理不尽なことも了承し、波風立てずに他人の主張を自分の主張として過ごしてきました。臆病者だったという自覚はあるし、その臆病の理由も、他人嫌いだが他人から嫌われたくはないという矛盾、寂しがりやの一面がそうさせていたと納得している。

 そんな折、3度目の人は僕に自分の意見を主張することが、自分が考えているよりも相手を不快にさせていないこと、人として何ともないことを教えてくれました。おかげで今は、自分の中にある意思を伝えること、会話することに感じていた恐怖はなくなった。

 自分の意見を言いながら人と喋るという行為は、当初の僕にとってはとてつもなく勇気ある行動、獅子の心の行為で。雪月花という言葉の意味同様、奇跡的な行為でしたが、そうではなくなった。

 それがいわば、得られたもの。

 生きる理由もないけれど、死ぬ理由もないので。思い描いていた結末に変わらず向かうことにする。結末の後にあるのはハッピーエンドではない、ただの空間だけれど、そんな夢の後で涙を出せたらいい。

 僕の答え、といえるものではないけれど、信じていたものに失望しても今はやっぱり走ることをあきらめないで、泣き場所を探して過ごそう。

 これからまた期待してしまうよなことがあるんだろう。それでも言わせてほしい。

 もう二度と。

 もう四度と、ヒトは信用しない。