でんちゅう随想録

夜のような虚無が好き。

獅子の心は雪月花

 最初の裏切りは小学5年のころ。

 親の離婚によって、シングルマザーの家庭で過ごすようになった不満や不安を転校先でできた友達に打ち明けた。翌日、友達は私の複雑な家庭環境をクラス中言いふらしていた。

 父親がいなく、母親だけの家庭環境というものは小学生には奇異に当時は映ったらしく、周囲が私をいじり続けた。だが「いじり」程度のことが、私には強烈な批判に響いていた。そしてその様子が、クラスのカーストトップには「人気のある転校生」に映った。

 やがてクラスのいじりは明確ないじめに発展し、途中から学校へ行くのを放棄した。

 2度目の小学校転校のおかげで、心労は回復し、友達を作ることはかなったが、2度と友人であろうと信用することはなくなった。

 2度目の裏切りは高校1年生のころ。

 中学に入学し、部活、受験と経験をしていくうちに人間不信もだいぶ改善され、気兼ねなく人と接することができていたころ。友人の中でも特に無二と思っていた友人が、そのころ私にはできていた。

 登校も下校も一緒にいき、互いに悩み事を打ち明けあって、遊びにもでかけた。その友人は私に喜びだけを与えてくれていたし、久しく忘れていた「親友」の存在に、私はその親友に対して友情ではなく、神聖的なもので見ていた。だからその親友の愚行も醜態も、見えていても見えないものと処理していた。

 しかしその盲目は、その親友とともにバイトをしたときに消えてしまった。否定できない親友の労働態度の悪さに、急激に心の中が冷えていった。

 一方的に期待して、勝手に失望して。そしてそう自制心を働かせていながら裏切られたと憤怒している自分を強く自覚しているから、余計に自分のことも嫌いになって、他人に期待することもなくなった。

 愚かなことに、私はここでも学習しなかった。

 3度目の裏切りが昨日。

 2度と人を信用しないと思っていた私のところに、瓜二つの思想を持った人が現れた。詳細は省くけれど、だんだんとその人の人柄を知っていくうちに「この人なら信じられそう」と羽化して、その気持ちは次第に大きくなって「この人を守れるくらいになりたい」という思いにまで羽を広げていった。

 そして思うだけじゃなくて、思った人間になれるよう、自分なりに努力をした。いや、、、どうだろう。努力したといえるのか、、頑張ったのだろうか。今となっては、分からないけれど。

 その人は私に、「いつか一緒に暮らしたいね」「君に嫌われたら私死ぬから」「このさき君以上に好きはできない」とか呪文のように、たびたび唱えた。

 向こうの好意にこたえられるよう、向こうとの約束を果たせられるよう走っていたがしかし昨日。好きな人ができたから、じゃあねと連絡が来た。

 唐突すぎる知らせに、理解ができなかった。だから今もこうして、整理するために文面にたたき出しているのだが。

 恋愛感情はけしてなかったから、奪われた、とか悔しいとかはなかった。ひたすらに、唐突なことに追いついていないのだ。

 

 

 

 続く