でんちゅう随想録

夜のような虚無が好き。

どうして忘れてしまうのでしょう

 何事においても、現在の「自分」に至るまでには過程があって、必ず最初、というものが存在する。それは子孫だとか、技術とか文明とか、いろいろなものに当てはまる。

 そして、この場で僕が指す「最初」というものは個人の能力というもの。

 どれだけ秀でた天才性、才能を持っていたとしても、絶対的なプロとアマチュアの隔絶はあって、素人が玄人よりも優れているということはありえない。ゆえに僕が言いたいのは、生きるすべての人間には必ず左右もわからなかった頃の、「新人」であったときの過程が存在するということ。

 その「新人」に対して、その道の常連、いわゆるプロによる能力向上の継承が、やがて芽生えたばかりの新人の能力に光合成させ、開花につなげていきます。

 その開花は新しい芽に振り向き、その芽もまたいずれの花となって、違う新しい芽に首を振る。この系譜のような連鎖で、人間社会の基盤が構成されているのだと、僕は解釈している。しかしまれに、この系譜を潰すのが目的にしか思えない、曇天を抱えた花を見かけることがある。

 いわゆる「新人」の心を忘れた「玄人」の存在であります。

 長い前置きの文となりましたが、単調に言うと正しい教育を新人に対して行っていない、あるいは正しい教育を怠っている、できていない上司に激しい苛立ちを覚えていて、今この場で衝動に任せてキーボードをたたく。

 僕が勤務している職場に、新人が入った。年齢は19で、今までバイトなどの仕事経験が一切ない、今回が初めてだという青年だった。

 だから「三大接客用語」や「レジ」、接客に付随するルールや細かいタブーなどが、知識にはあるわけがない。

 だから「いらっしゃいませ」から「おつかれさまでした」まで、丁寧に教えなくてはならないのが基本。

 僕が担っているのは、飲食店の「キッチンリーダー」で、新人は最初必ず「ホールスタッフ」から開始するので、僕が新人の教育を担当することはほぼない。だからいつも、「ホールリーダー」が新人に教育している後姿を、キッチン越しで見ているだけ。

 こぼれたミスを指摘するくらいのことしかしていなかった。

 今回の新人さんは、見た目通りと言ったら悪口の程度になってしまうけれど、内気でなかなか声が小さい子だった。また女性と違って男性は低い声をしているので、何でも接客には男性の声色は不向きである。そんなことも相まって、その新人の子が特別「声を出さない子」に見えてしまっているのは、否定はできない。

 飲食店の特色から、おそらくホールのベテランスタッフたちも、いわゆる「陰キャラ」の新人を対応するのは初めての試みだったのでしょう、新人の子が退勤し後は罵詈雑言でした。

 ここで新人さんが、何日たっても変化がなかったり、無断欠勤などをしてくれたら、僕が思うところは何もないのですけれど、その子は1日1日と日をめくるごとに小さな成長を見せていました。初日は声すら出ていなかったけど、2日目は声は出すように、というか出すべき声の台詞を覚えていました。3日目は台詞の復唱を、4日目は視野を広く勤務できるように、と。

 後ろからお店全体を見れている僕は普通にその変化の姿を確認することができました。

 しかし肝心のその子を担当する人には見えていないらしく、いつまでたっても「声の出ない新人」の印象は変わっていなかった。それが多分、担当者をイライラさせていたのか、担当の人が新人に対する口調がだんだんと強くなっていくのがわかった。

 新人の子が声が小さいと。「もっと声出しなよ〇〇くん、男の子でしょー!」と見せしめのように、お客さんのいる前で大声でどなる。また新人担当のこの方は、お客さんから「声がでかすぎる」とクレームが来たまでのかただから、それはもう。

 オーダーを取りに行って、伝票の記入ミスがあると、「ほらまた間違えてる。そんなんじゃいつまでたっても使えないよ」と。確かに言い分はごもっともでしょうがしかし、人に伝える言葉としてみたときにふさわしくない、汚い装飾でできている。

 「また」間違えるということは、「まだ」理解していない範疇がいること、さらに「また」間違えたのではなく「なぜ」間違えるのか、どう改善したらよいかという解決、改善案のアドバイスを提示するのが、少なくとも「新人を教育する立場」の人はやって当たり前だと思う。

 新人の子が、仕事で使うボールペンを変えてくるといって、事務室にこもれば、「たかがボールペン替えるだけで遅くない?」と喋る。そして戻ってきた新人の子に、「小学生じゃないんだから、事前に報告しなさいよ」と吐く。

 上記を見て、あなたはあたりまえ、とか社会に出たら通用しないのだから、とか新人の子が悪いとか思うのでしょうか。僕が感じる不快感は「甘い」のでしょうか。個人的な意見として、そう思っているのでしたら、それがすでに日本に長く寄生している、育つ人を腐らせる癌という思想だ。

 冷静に、真っ白な社会に出されることを想像する。目の前には先輩しかいなくて、空白の社会の中ではその先輩こそが絶対神、絶対視する啓示。

 だからこそ、自分自身が新人であったころを、慣れて仕事ができるようになった今になって想起して、経験からの割り算でもっとこう教えてくれれば、もっと早く今の自分に追いついていたと考えて、よりよい教育を新人に施す。

 少なくとも僕はそう実践している。

 しかし言いたいのはそういうことではなく、なぜ「新人のころ、こういうことを先輩に言われたらいやだ」というのを新人の経験があるのに、想像できないのか、思いやれないのか。新人だったころの自分の記憶を忘れてしまっているのか。

 究極的に僕がいら立っている理由は、その新人担当の人の「他人を思いやれていない」人間性の部分なんだろう。そして僕はその新人担当の人を教えた立場だ。そんな立場なのになぜそんな対応を僕の目の前で新人に対してできているのか不思議でならないけれど、たぶんそれは僕がその新人担当の人よりも年下だろうから、年功序列の心理秩序が確立しているからでしょう。

 とうとう苛立ちを抑えられなかった僕は、その新人担当の人に注意した。心理的には叱ったという気分ですが。

 今は文章が終盤に向かうにつれて、沸騰していた怒りも沈静しつつある。

 で、僕が言いたいことというのはつまり、

 もっと人の気持ちを考えろ

 ってこと。

 これ以上続けると、ただの悪口が稚拙にドミノ倒ししそうなので、やめておきます。

 もう冬の寒さは解けてきましたね。春の瞬きを感じます。

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