でんちゅう随想録

夜のような虚無が好き。

可能性は僕にとって眩しくて

 このまえ、妹の小学校最後のイベントを見に行ってきた。当然見に来るのは親御さんばかりだったので、年齢的にものすごくアウェイだったので、少し居心地が悪かったですがそんな気持ちも、妹が成長した姿を、そしてこれからを生きる小学生の集団を見て吹き飛びました。

 題名にあるように、小学生という生き物はまさに希望に満ち溢れていて、巨大な可能性を秘めている。そんな印象を、無邪気な笑顔や声変わりのしていない声を聞いて感じた。

 このまえ、ロフトを歩いていると高校生のカップルがいて、彼氏が彼女と一緒に彼女の誕生日プレゼントを購入していた。彼氏は冗談で、クリップみたいなものを彼女にプレゼントしたけれど、彼女がトイレに行った好きに本命のものを隠れて購入している後姿の初々しさに、心の中で体を捩らせる。

 このまえ、カフェに行ったらカップルかどうかはわからないけれど、小学生の男女がカウンターで注文していて、男の子のほうが(本当に好きで注文していたら申し訳ないけど)エスプレッソを女の子の前で注文していて、かわいらしいその心にこちらが痒くなってしまった。

 僕はこの日常を、視界に映る映像をモノトーンとか、灰色だとかキザに表現するつもりは毛頭ないし、そこまで思考も堕ちている自覚はない。しかし僕が物語の主人公らしく、自分の人生を自分が一番輝いていると断言もできない。そんな気持ちを抱えながら生きている所為もあって、周囲の人々が、最近ものすごく輝いて見えてしまう。輝く、というよりはもう発光してるくらいに、それぐらいの眩さに気持ち的にはある。

 僕にはないものを持っている人は幸せそうで、しかしそれを妬み羨むことはなく、どうして僕はあの境地にいつまでもいられていないのかという疑問だけしか、水面を叩かなかった。

 雪は降ることを忘れて、風だけが冷たくよぎる日々が続いている。やがて春が来て、寒さに身を縮ませていた桜も顔を出すようにして、外も暖かくなる。それにつれて生活を送る人々も自然と、笑顔の回数が増えて、周囲は普段よりも保温された、幸せであふれている季節。

 春はものすごく嫌いで、圧迫されるような不快感を抱きながら過ごしていたけれど、今年の春は、訪れる春の予兆に背中を押されている気がした。

 それはたぶん、僕のことを待っててくれている人や、応援してくれている人、今まで聞こえていなかった小さな声が耳に届いているからなんだと思う。

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 最近の小さな悩みは、一人称を「自分」にするか「僕」にするか、それとも「私」にするかという点。