でんちゅう随想録

夜のような虚無が好き。

語彙の倫理

最近購入した本の中で勉強になったもの;

語彙力がないまま社会人になってしまった人へ

語彙力がないまま社会人になってしまった人へ

 

  この本の特色は、ほかの語彙を紹介する本と比較してみると、「みんなが知らない語彙」というよりかは「使える語彙」を集約させている様子で、それこそビジネスやマーケティングにも使えるようなもので、語彙の鍛錬は確かな論理につながるので大変参考になりました。

 本の中身を何個か紹介すると、例えば上司や取引先からの命令や依頼を受け取るときに、「了解しました」と返すのが常だと思います。別の言い方だったら「かしこまりました」「承りました」「了承しました」とかが思いつきます。

 しかしこの本では、「了解しました」を上位変換すると「拝承しました」という言葉になるそうで。かみ砕いて説明すると拝承の拝は「左手」「右手」をあらわした言葉らしいです。そしてこの拝承の拝は別で拝むという言葉があって、拝むというのは相手を尊敬するという心の中で最上級のもので。

 だから取引先との関係性で使う言葉としては一番相手を持ち上げる了承の言葉。「了解」だと、相手の依頼を片手で受け取るというイメージで、「拝承」だと相手の依頼を両手で大切に受け取って受諾するというイメージになるそうなので、つまりは了解よりかは拝承のほうが丁寧だそうです。

 感謝の言葉で、「ありがとうございます」というものがあって。そしてこの感謝は社交辞令で使用するときもありますが、本当に感謝を伝えたいときっていうのはあると思うんです。そして自分の教養ではそんな時「ありがとう」しか知らなくて。そして日本語で「心からの感謝」を伝えるときは、幾重にも、という言葉を用いるそうで。

 なので感謝の言葉で締めるとき、「幾重にもお礼を申し上げます」とつけると、きれいに収まるそうです。

 このように、知らなかった、と感動するよりかは、タメになる、と思わせられるものがたくさんでした。

 デメリット、という言い方はおかしいですけれど、この本の惜しい点としては、文章が全体的に「私が正しい」という文脈で、「私の教えに沿えば間違いはない」というのが伝わてしまって、少し鼻についてしまうというところですかね笑。

 この本を読み終えて;

 たしかに勉強になりましたし、語彙の領域を広げることができましたが現実問題、リアルで使用するかしないかの線引きが難しいですね。

 例えばですけれど、先述した「拝承しました」ですけれど、自分が上司とかクライアントの依頼を受けるとき、拝承しましたと発言するところを想像します。

 かゆっ、って自分は思います。

 難しい言葉を知っていて、使っていたら確かに高い知性と教養を感じられますけれども、しかし一歩間違えれば自意識の高い痛い人に見えてしまうし、自分がそういう人に会ってしまったら多分「仕事ができない人」って思ってしまいます。能力不足を言葉で補っているように映ってしまう。それよりかは、能力不足を学習で改善してく姿勢を見せたりやったりするほうがマシだと自分は思うんです。

 よくブレスト、コンセンサス、マニュフェスト、サジェスチョンとカタカナを乱用する人もいますけれども、そこにはその人の頭の中の具体的なものが何も形容されていなくて、薄っぺらい印象を与えてしまいます。

 それと同じで、この本を読んで大切なことは、得た知識の札で、とれを表にするか、という自己判断だと考えます。

 高い語彙は、その語彙を知る同じ教養知性の人どうしでないと、成立しえないということを十分に理解して、今後の日常生活にうまく反映できれば良いですね。

 後半この本に関してのバッシングに近いことしか言ってないかもしれないですが、買って読む価値は絶対あるので、書店で見つけたら、お手に取ってみてください。

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