でんちゅー

お面の向こうは社会

憧憬へ・・・

 大人になる、というのはどういうことなのだろうか。

 経済的な独立か。

 しかしそれは、働きだせば誰もがいずれは独立するのだから、自分が考えるものとは違うニュアンスに思える。ようは、子供のころに行っていたことをしなければ、逆のことをすれば大人となるのだろうか。

 これも、その単純な思考が大人というイメージから遠ざかっているように思える。

 では、ほうれんそうを大事にすればいいのか、というのもただの常識で。自分の意見を主張せず、上司に媚び、周りに合わせて環境に適応するのが大人なのか。そうかもしれないけれど、ただの引っ込み思案にも思える。

 では、大人の能力という点から、世間からみた大人という認識に焦点を合わせてみると。やっぱり第一には、年齢である。どんなに頑張っていても、どうしても年齢という壁が大きく横たわることがある。

 例えば、アルバイトは高校生から。ハンドクラップは大学生から。ものにもよるけれど、クラウドファンディングは18~20歳から。契約関係でいえば、クレジットカードは18歳から。

 だから、成人年齢になれば一応、大人には世間から分類されるかもしれないけど、自分が求めているのはそういったことではない。

 大人の中にも確かな年齢のカースト制度がある。現に、未成年でネット起業を試みたことがあるけれど、やはり実績も何もなく年齢からも怪しまれて仕事は指で数えるほどしかもらえなかったし、シュフィティやランサーズでも、若い年齢のせいか何度も報酬金を払われずに、クライアントに逃げられたこともある。

 いろいろな紆余曲折があったけれど、最近得たものとしては、好きなことを仕事にするのはとても難しいということで、自分は途中であきらめてしまった。

 多分、妥協なんだろうけれど、嫌いなことを仕事にするほうが、社会で生きていくのは楽に感じた。嫌いなものの中で、いかに自分が耐えられるかを日々模索しながら、現在は仕事をしている。

 批判されるだろうけれど、自分が得た「大人」に対するものの意味は、社会にいかに適応できているかどうかだと思う。その適応から、社会に対して貢献したり拡大を起こしているのが、いわゆる「カリスマ」という人間なんだろうなーと。

 自分が一番コンプレックスに思うのは「子供」である部分です。容姿云々ももちろんあるけれど、自分が過ごしている生活や、身を置いている環境の中に「子供」を感じてしまうと、とてつもない自己嫌悪が起きるのです。

 その「子供」たる部分が悪く作用してしまって、仕事とプライベート両方が瓦解してしまいました。仕事では上司の期待を裏切り、プライベートでは交際中の彼女と別れてしまい。

 嫌なことというのは重複するもので、いろいろな見て見ぬフリをしていた問題が今になって返ってきました。

 普段はここでリストカットして一息つくんですけれど、この行為にも「子供」を感じてしまい、途端に手首を切るのにも嫌気がさしてしまいました。

 まあ切りすぎて切る場所がないっていうのもありますけど笑。

 死にたいという感情が芽生えているのを自覚しながらも、今はそれよりも大きい自分に対する怒りがあります。

 妥協し続けていた自分の怠惰さと、大人になるということに注視して、自分の生活環境の中にある「子供」を傍観していた自分。

 氷面鏡の自分の顔を見て、今のままでいる自分に変化をもたらすことを決心しました。