でんちゅー

お面の向こうは社会

孤独だったろうか:3

 同居人が嫌い。

 この回答は、一緒に生活して三日もせずに得た。

 顔も考え方も、言葉もたばこのにおいも、生理的に。いな、生物として強い嫌悪の思想が根付いた。

 根付けば勝手に頭は養分を吸収していくので、その根は着実に私の頭の中を囲んでいく。同居人が冗談を言う。妹は笑い、母は手をたたく。ちっとも面白くない、虫唾が走る。同居人がプレゼントを買う。妹は喜び、母は感謝する。ちっとも嬉しくない。ごみをもらった。同居人が笑う。妹と母は笑い返す。自分だけが笑っていない。

 家族と自分の「ずれ」を感じた。

 妹と自分の見る目の「ずれ」を感じた。

 母の同居人と自分への愛情の「ずれ」を感じた。

 その「ずれ」は、自分が間違っているという思考に着地した。

 みんなが寝静まった夜、トイレで手首を切った。漫画のように噴水となって出血はしなかったけど、体の中から「抜けていく」感じがたまらなかった。結局死ななかったけど。

 明日の朝、四人は談笑している。知らないんだ、あの四人は。昨晩、死のうとしたんだ。トイレに入って気付かなかったかな。わずかに便器残っていた血糊。結局妹が絵具パレットを洗った所為になったけどね。

 延長コードで首を吊ろうとした。うまく首がしまらなかった。

 湯船につかって、ドライヤーを入れた。バチバチとドライヤーが鳴るだけで、死ぬほどの電気は体に流れてくれなかった。そのあとは、ドライヤーを壊して同居人と母に怒られた。

 また手首を切った。

 気づかれない、気づかれない、気づかれない、気づかれない。気づいてほしくてやっている自分をどこかで容認して、自傷行為、自殺行為をしていた。

 あぁ、血は関係ない。縁も関係ない。たとえ、「母」であろうとも、「妹」であろうとも、違う世界の人間で、他人である。他人と自分の距離が接近しているか離れているかの違いなのだ。中学三年の時には、そこで落ち着いた。

 でも、心配されるのは気持ちが悪いし、分かってほしくもないので、会話を続けた。一生懸命笑ってやった。なあ母さん、幸せだね。なあ妹、うれしいね。なあ同居人、面白いね。今日の下校で、車に接触して腕を折ったんだよ。知らないでしょ。

 高校受験も、まじめにやらなかった。そのころには、同居人の家族まで住みだして、すっかり大所帯だったのもあるが、生きる意味を見出していなかった。

 入学出来たらできたで、できなかったら死のうと思っていたからだ。

 結局入学し、高校生として花の青春を送ることになった。

 長年培った処世術ですぐに友達はできたし、バイトもやるようになった。

 やがてバイトでスキルが上がり、必要とされるようになった。ここで初めて、人に必要とされる感覚を味わった。能力を買われた。その反動が余計に、帰宅することへの拒絶を生み出していた。

 ある日、同居人が母を殴った。

 私は怒った。怒れてしまった。

 DVをきっかけに、同居人は自分が高校二年になるころには家を出ていった。

 母、妹二人、自分。もとの家族構成に戻ったのである。

 しかしこれといって変化が起きることもなく、淡々と日常は過ぎていった。

 母は仕事がつながって、多忙の毎日。妹二人は転校した小学校で必死に友達作り。かくいう自分は、クラス替えで一人の学校生活を送っていた。

 普段の処世術を使えば、また友達を作ることは容易であったが、疲れてしまっていた。

 人と交流すること、会話すること。だんだんと、自分が他人に合わせる生活が億劫になっていって、いわゆる「ぼっち」におさまることを受け入れた。

 学校生活はすべて寝て過ごした。さぼりすぎて、出席日数も危うくなった、というか単位は何個も落とした。学ランは捨て、学校も蹴って通信制の学校に通うことになった。

 生きる喜び、これからを生きていく楽しさなんてものを、まじめに考えるなんてばかばかしいと思うけど、絶対に今を生きる人は「なにか」のために生きている。

 自分は、何もなかったのである。たしかに、将来の夢もあるし、やりたいこともあったけれど、すべてが面倒に感じていた。

 バイト先だけが、唯一の何も考えなくて済む空間だった。

 まだ、生きる意味を考えさせてくれている命綱みたいな感じだった。

 面倒で、億劫で、何もやりたくない。

 自暴自棄になっていたころ、一人の女性に出会う。

 Nさん。彼女もまた、息苦しく生きてきた一人だった。

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